プロフィール

群馬県伊勢崎市で「唯一」

刺さない鍼で首をゆるめる大成堂中医針灸院

院長の藤田勇です。

 

鍼(はり)というと、どうしても「痛そう」「怖い」というネガティブはイメージがつきまとってしまいます。

あなたはどんなイメージを持っていますか?

 

ですが、私の提供する鍼治療は刺しません

刺さないから痛くありません

痛くないから、小学生でも平気で受けています

 

刺さない鍼で、首をゆるめることで、全身を改善できる、体だけでなく心もゆるめることができる。

そのことを多くの人に知ってもらいたいと思い、このブログで情報を発信しています。

 

このページでは、その情報を発信している私・藤田勇がどいう人間か?

お話していきたいと思います。

少し長くなりそうですが、よかったらお付き合いください。

 

小さい時から健康おたく

大盛堂院長 藤田勇

小学生の時は肥満児で、野球の好きな少年でした。

健康に関心をもつ変わったところがあり、たばこやお酒は身体に悪いと、声を大にして親に言っていた記憶があります。

中学生になって野球部に入ると、急速に痩せ始め、運動神経が良くなりました。

マラソン大会では、小学生の時にはいつもビリから2、3番でしたが、中学生になると、前から10位以内になり、同級生を驚かせました。

人生を決めた瞬間

ムー

中学二年の時でした。

近所の良く行く本屋で、たまたま手に取った雑誌に気功の記事が載っていました。

その雑誌を読んだ時に、私の運命は決まってしまったのでした。

当時(今から四半世紀前)、気功はまだ全く知名度のない存在でしたが、その記事にあった、気を使って触れずに病気を治す人達のことが、私にはとても印象強く、心に残ったのでした。

そんな世界があるのかと驚いた私は、そのような人に自分もなりたいと思い、すっかり「気の世界」に魅了されてしまいました。

仙人から鍼灸師へ

仙人

気の世界に魅了された私は、気について書かれた本を読むようになり、その中の一冊に、「仙人になる方法」という本がありました。

仙人とは気の使い手で、気功とは仙人になる修行からできたものだと、書かれていました。

それを読んだ私は、本気で仙人になりたいと思ようになっていました。

その後、高校生になって自分の進路を考た時、気の医療の使い手である鍼灸師という職業に自然にたどりつくこととなったのです。

鍼灸の専門学校に入って、思う存分、気の世界に浸りたいと考えるようになりました。

しかし、人生はそんなに甘くはありませんでした。
当時、鍼灸の学校は、現在とは違ってかなりの狭き門でした。

落第し、浪人の身となってしまいました。

一年後「今年こそは!」と臨んだ試験でも、またもや不合格。

さて、どうしたものかと考え、本場の中国に行こうという結論になりました。

それならまずは中国語の勉強だと、中国語の専門学校に入学しました。

学校で中国語の勉強をしながら、アルバイトをして留学費用を貯め、中国の大地に思いを馳せていたのでした。

中国での太極拳修行

太極拳修行

中国語の専門学校を卒業した後、北京に語学留学をしました。

一番の目的は、気功を修行をすることです。

北京には、日本でも名の知られた気功の先生がいて、その先生に気功を習おうと決めていました。

ところが、です。お目当ての先生を訪ねていくと、アメリカに行ってしまっていました。
しかも、もう帰ってこないだろうと言うではありませんか。

失意の中、これからの留学期間をどう過ごそうかと悩みました。

太極拳修行2

そんな時です。

張偉一という老師とめぐり会い、ひょんなことから陳式太極拳を習うことになりました。

張老師は、文革の時代に紅衛兵と戦った経験のある猛者で、脇腹の刀傷を見せてもらったことがありました。

学校の授業は午前中のみだったので、その他は、明けても暮れても太極拳という生活を二年間過ごしました。

鍼灸師への道リターンズ

二年間の留学期間を終えて日本に帰って来ると、完全に浦島太郎状態でした。

留学前はバブル景気の絶頂だったのが、見事にはじけています。

せっかく留学までしたのだから、中国語を使った仕事をしたいと思っても就職口がありませんでした。

その時です、それまで胸の中にくすぶり続けていた、鍼灸師への道に対する思いが再燃したのでした。

その当時も、まだ狭き門には変わりありませんでしたが、ラストチャンスだと思って目指すことにしたのです。

一年間の準備をして、受験に挑むことにしました。

思考は現実化する

思考は現実化する

今までに、何度も鍼灸学校の受験に失敗をしていたので、一年間の準備をしても、合格できる自信がありませんでした。

その時にジョセフ・マーフィー博士の本に出会ったのです。

それは、思いは現実化するという内容で、潜在意識に働きかけて、願望に向かって努力を重ねていくと、必ず(ここが重要!)実現するというものでした。

はじめは半信半疑でしたが、どうしても受験に合格したい一心で、本に書いてあることを実践してみることにしました。

必ず合格すると強く思いながら受験勉強を続け、一年後、運命の時がやってきました。

今まで、何度も何度も受験に失敗していて、鍼灸学校の受験に合格することは、私にとって、とても大きな壁として立ちはだかっていました。

でも、マーフィー博士の教えを信じ実践したことで、

なんと、すんなりと合格をしてしまいました。

この時、私は心と物質世界の関連性に目覚めたような気がします。

今ふり返ると、このことを通じて、
私は、治療家として患者さんの身体にだけ目を向けるのではなく、
患者さんの心のあり方も重視するきっかけになったのだと思うのです。

鍼灸師になって失敗した!

夢にまで見た鍼灸師への道です。学校も授業も楽しくてしかたありませんでした。
それまでの学生人生で、一番勉強に没頭した時期かも知れません。

そして三年後、国家試験に合格し、晴れて鍼灸師になったのでした。

しかし、すぐに壁にぶち当たりました。

治せないのです。

今から思えば、当然といえば当然なのですが、

学校で学んだことで患者さんを治療していっても、その苦痛を解消できませんでした。

そんな中、ある患者さんとの出会いがありました。

首が原因だった!

まだ鍼灸師となって日が浅かったころの話です。当時働いていた治療院で、頭痛とめまいに悩む70代の女性の方を担当することになりました。

今考えると、まだまだ未熟な技術しか持ち合わせてなかったのですが、その女性は毎週私の施術を楽しみにして受けに来てくれました。

施術の直後は楽になるのですが、またすぐに元に戻ってしまっていました。

私は、何とかこの方の期待に応えたいと、解剖学書を引っ張り出して学びなおしたり、経験豊かな先生たちの治療報告をみて参考にしたり、先輩鍼灸師に相談したりしました。

そんなことを繰り返していましたが、私がその治療院で働いていた期間ずっと通ってくれていました。

私が中国へ修行を行くためにその治療院を辞めることになり、結局はその方の期待に答えることが出来ませんでした。

本場中国で技術を学んでいる時も、この悔しさが私の心の中にずっと残っていました。

日本に帰ってきてから、縁あって現代医療施設の最高峰である大学病院で外来を担当することになった時にも、このことが頭から離れることはありませんでした。

この甲斐あってか、首を治療することの重要性に気づくことができ、当時とは比較にならない効果をあげられるようになりました。

8年間めまいに苦しみ、大学病院、クリニック、さまざまな治療を受けても全く改善しなかった方が、一回目から改善しはじめて完治したケース。

めまいがひどく、仰向けにもうつ伏せにもなれなかった方が、横になって眠れるようになったケース。

来院した時点で頭痛を感じていたのが、治療が終わってベッドから起き上がると痛みがなくなっていたケース。

これらのような効果をあげられるようになったのは、首を治療することを中心とした首ゆる鍼を生み出した結果です。

あの時の悔しい思いをしたくないという想いが、これまでの技術を追求してきた原動力になりました。

これからも、大成堂を信頼し真剣に施術を受けに通ってくれる患者さんのために、お役にたてるよう一生涯技術向上の探求を続けていきます。

それが、つたない技術しかなかった私の施術を信頼し受け続けてくれた患者さんへの恩返しだと思っています。

主な経歴・取得資格

semi
  • 平成14年 天津中医学院留学。
  • 平成17年 大成堂中医針灸院を開院。
  • 平成17年~22年 自治医科大学麻酔科鍼灸外来を担当。
  • 平成17年~27年 日本医科大学東洋医学科鍼灸外来を担当
  • 2001年鍼灸専門学校の教員資格を取得
  • 2014年/2015年女性ホルモンバランス療法協会で、代表として会員に治療技術のセミナー開催
  • 2014年伊香保合宿セミナーにおいて治療技術セミナー講師を担当
  • 2014年栃木県鍼灸師会で鍼灸師向けセミナーの講師を担当

 

  • 国家資格・鍼灸あん摩マッサージ指圧師
  • 鍼灸あん摩マッサージ指圧師養成学校教員資格
  • 後藤学園中医学研究所客員研究員
  • 米NLP協会認定プラクティショナー
  • 日本統合医療学会(IMJ)群馬県支部 副支部長

 

マスコミ・メディア掲載実績

media

医道の日本 平成24年5月号
医道の日本 平成24年6月号
医道の日本 平成24年7月号
いせさき新聞 平成23年2月
鍼灸ジャーナル 平成20年11月